7 月 13
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昔、知り合いの人にこんなことがありました。
その人は高速道路を車で走っていたのですが、なんと走っている最中に、いつの間にかタイヤが一本外れてしまっていたそうです。
でもそのことに気付かなかったため、その人はずっとタイヤ三本で走り続けていた。
外れていたことを知ったのはずっと後のことです。
そんな不安定で危険な状態で、どうしてなんの不都合もなく車を走らせ続けることが出来たのでしょう?
「そりゃ、偶然にもカーブのない長い直線道路で、ハンドルを大きく切る必要がなかったからだよ。高速で走っていたので慣性の法則が働いて、車はバランスを崩すことなく走り続けることが出来たのだ。そういうことって、たまにあるらしいよ」
そうかもしれませんね。
物理的な説明を求めるとそういう結論になるでしょう。
でも私が言っているのはそういうことじゃありません。
「本当にずっと前からタイヤは外れていたの?」
ということです。
彼は運転中「タイヤが三本しかない」ということを事実として認識していなかった。
つまりそのとき、彼の意識には「タイヤが三本しかない」という事実はなかった。
じゃあ、そんな事実は存在していなかったんじゃないの?
少なくとも彼が「タイヤが一本外れている!」ということを事実として認識するまでは。
このことを彼の側からだけ捉えると、別にそれでも問題ないことが分かります。
だって事実しばらくの間は、タイヤが万全な時と同じ状態で走行を続けていたわけだから。
「でも、彼がそれを事実として認識するまでに、既に別の人がそれに気付いていたかもしれないじゃないか。対向車がパッシングをしたり、クラクションを鳴らして知らせようとしたり…。タイヤが外れていると気付くまでの間、『そういや、確かにそういうことがあったな』と彼に思い当たる節があるなら、やっぱり彼が気付いていないだけで、それは現象として起きていたんだよ」
分かります分かります。
ですが、ちょっと待ってください。
その「対向車がパッシングした」「クラクションを鳴らされた」というのは、本当にタイヤが外れていることを知らせようとしてのことですか?
そんなこと、タイヤが外れたことがない私にだって、幾らでも経験がありますよ。
パッシングやクラクションが「その時点で既にタイヤが外れていた」ということの証明にはなりません。
「だから!その車は結果的にタイヤが外れていたんでしょ!それならパッシングやクラクションは『それを知らせようとしていた』ということになるじゃない!!」
…ハイ、引っかかりましたね。
「…君、今の聞いたね?」
「はい、聞きました」
「…君も聞いたね?」
「はい、聞きました」
「…オイオイ、なんのマネだ!一体こりゃどういうことだ!」
(by 刑事コロンボ)
あなたは自分自身で認めてしまったんですよ。
「『結果的に』タイヤが外れていたから、パッシングやクラクションは『それを知らせようとしたことになる』」
あなたはこう言いましたね。
これは、
「彼がタイヤが外れていると認識した」
つまり、
「彼の意識体験に『タイヤが外れている』ということが入ってきてから初めて、『パッシングやクラクションはそれを示唆する事実として存在』したことになる」
と認めているということです。
彼が脱輪を認識した時点で、対向車のパッシング等はそれを支える事実となった。
これは確かに真実です。
この二つの事象間においては、敢えて時系列的な観点から見ても「脱輪したことに気付いた」方が後です。それ以前の時点では、彼の意識体験に「脱輪」という事実は存在していない。確かに対向車にパッシングされたかもしれませんが、パッシングという事象単体のどこを探しても「脱輪」という要素は見あたらないのです。
彼が脱輪に気付いてから、
「あっ、さっきのパッシングはつまり…」
こう認識した時点で初めて、彼の中で脱輪とパッシングとが結びついたわけです。
「あなたが属性を認定するまで、全ての事象はニュートラルである」
これまでに何度も言ってきたことです。
では分かりやすくするために、映画のフィルムに置き換えて考えてみてください。
主人公が高速道路で車を走らせていると、対向車がやたらクラクションを鳴らしたりパッシングをしてきたりする。
おかしいなと思って車をパーキングに止めようとしたところ、急に車の挙動がおかしくなる。車は傾きながらなんとか停車し、車を降りた主人公はタイヤが一本外れていたことに気付く。
この映画をそれぞれのシーンごとに抜き出して単体で観察してみても、それぞれは何の因果関係も示していません。
それを時間軸に沿って、
1.クラクション
2.パッシング
3.不審に思う
4.速度を緩める
5.車の挙動がおかしくなる
6.停車して脱輪を確認する
このように順番に連続性をもって見ていったとき、初めて、
「ああそうか。対向車は主人公に脱輪を知らせようとしていたのだ」
という解釈が成り立つわけです。
1や2の時点ではクラクションもパッシングも「脱輪を示唆している」という属性は持っていません。その属性が与えられるのは6の時点です。その時点までは、別の言い方をすると「属性は確定していない」。
このように彼の意識体験においては、どう頑張ってみたところで「パッシングやクラクション」が「彼が気付く以前に脱輪が発生していた」ことを証明する根拠にはなり得ません。
…まだ納得できませんか?
よろしい。往生際の悪いあなたのために、もっと分かりやすく徹底的な説明を試みましょう(笑)。
(つづく)