優しい人ほど損をする?(その1) 現実という罠(その1)
10 月 31

さて、【結末その3】の前に、彼のこれまでの人生を別の視点から振り返ってみましょう。

彼は確かに心優しい人間でした。
客観的に見れば、こういう人ほど幸せになっていなくてはならないはずです。
しかし、そうはなっていません。むしろ逆です。
なんで、こんなあべこべなことが現実社会でまかり通っているのでしょうか。
もし神がいるなら、なぜこの現実に介入してきて彼を救ってくれないのでしょうか。

当然です。
彼は全然優しくなんてありません。
むしろ人非道、人を人とも思っていない悪質な人間です。

「一体何を言ってるの?これほど優しい人間が極悪人なら、他の人たちはどうなるの?」

こんな風に疑問を持たれたあなた。
あなたには彼の極悪な側面が見えていないのです。

「何それ?上辺では優しいけど、影では多重人格の冷徹な殺人者だったとか?そんなのズルいよ。読んだ中にはそんな設定は描かれていないじゃないか!」

まあまあ、待ってください。そんな隠し設定は一切ありません。
あなたがここまで読んできた物語の中に、彼の極悪な側面はキッチリ描かれています。

ズバリ言いましょう。
彼はあるひとりの人間に、到底考えられないような惨い仕打ちをしてきました。

彼自身にです。

彼は「人の気持ちを大切に考える」と言いながら、一番大切に考えてあげなくてはいけない人物の気持ちを、ずっと踏みにじり続けてきたのです。
他の誰でもない、彼自身の気持ちをです。

彼は最優先すべき人間の心を、ずっとないがしろにしてきたのです。

昔話や童話の中に、よくある共通したステレオタイプの認識があります。

「苦労した人間は報われる」
「心優しい人には、必ず幸せが訪れる」

この言葉面はシンボリックに我々の心の中に刷り込まれ、それによる誤った認識が、いつしか信念となって深く根付いています。
そして今でも、この紋切り型の信念は堂々と世の中にまかり通っています。
情報番組やゴシップ誌、ニュースやドラマや教育番組、世間話から井戸端会議に至るまで、巷はこの信念を肯定するような論調で溢れかえっています。

「まったく、あの人は図々しいわねぇ。きっとロクな死に方はしないわ」
「どうしてこのように善良な方が、こんな目に遭わなくてはいけないのでしょうか」
「いつかきっと、僕たちにも幸せが訪れるんだ。希望を捨ててはいけない」
「お天道様は、ちゃーんとお見通しだよ」
「そしてシンデレラは、王子様といつまでも幸せに暮らしました…」

相手の心を思いやることは、尊いことです。
それは真実です。
でも、だからといって「自分自身の心は踏みにじっても良い」などということは決してありません。
逆に、最優先で大切に考えてあげなくてはいけません。

「自分が嫌な思いをしても、相手が幸せならそれでいい」

これはステレオタイプの間違った信念に支えられた幻想です。
あなたはあなた自身の幸せを通してしか、相手にも周りにも、何一つ与えることは出来ません。
出来ると思っているのは、歪んだ認識が見せている錯覚に過ぎないのです。

自分の不幸によって、まるで取引のように他の人が幸せになる、などということは絶対にありません。
現実がたとえそのように見えていたとしても、それはあなたの信念が見せている幻想なのです。
そんな愚かなことで誰かが幸せになると思ったら大間違いです。

「じゃあ自分の欲望のままに、傍若無人に振る舞えばいいのか。そんなことをしたら、世の中はたちまち大混乱に陥ってしまうだろう」

ちょっと待ってください。そんなことは言っていません。
しなくてはいけないことは、

「自分の幸せを最優先に考える」

ということです。これは、

「自分さえ良ければ、他の人はどうなってもいい」

ということではありません。
周りの人に対して優しく接するということは、何ら間違いではありません。
ただし周りの人よりも誰よりも、自分自身を一番大事にし、優しく接してあげなくてはなりません。

「自らを一段低いところに起き、他の人を上位概念として優先する」

こういった姿勢は、

「私は、常に他人よりも満たされていない状態を欲している。それが私の望みだ」

と表明していることに等しいのです。

それによって、あなたが心から幸せを感じているのなら問題はありません。
例えば、限られた分しか食料がないような場合、たとえ自分の空腹が満たされないとしても、親は自分の子供に優先して食べ物を与えようとします。
これは親が本心から欲していることであって、正真正銘、それが親自身の幸せであるからです。
しかし彼の場合は違います。周りに喜びを与えるため、本当は不足感を感じながら、自分自身に我慢を強いています。そして「これは美徳である」というような、自分の本心と全く一致しない信念によって、自らは不足が当然だと思い込もうとしているに過ぎないのです。

あなたの幸せを犠牲にして、誰かを幸せにすることは出来ません。
なぜならその時、あなたはあなた自身を苦しめているからです。
苦しみは苦しみしか引き寄せません。
苦しみが幸せを引き寄せることなど、出来る道理がないのです。

では、具体的にどうすればいいのでしょうか。
この物語の「彼」は、一体どうしていればよかったのでしょうか?

ここで、彼が物心をついた時分にまで、時間を巻き戻します。


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彼は公園にやってきました。
ブランコ遊びがしたかったのです。
ところが、ブランコには既に男の子が乗って遊んでいます。
彼は、ブランコ遊びを昨日からとても楽しみにしていました。
でも仕方ないや。あの男の子だって、ずっと楽しみにしていたかもしれないもんな。
彼は諦めて、その場を立ち去ろうとしました。

その時、

「自分の気持ちも、大事にしてあげなくてはいけないよ」

誰かの声がしました。
振り返りましたが、誰もいません。
気のせいだかなんだか分からない、不思議な経験でした。
でも彼にはこの言葉が、何かとても大切なことを伝えようとしている気がしたのです。

彼はブランコで遊んでいる男の子に近づいていきました。

「ねえ、代わって。僕もブランコで遊ばせて」
「うん、いいよ」

意外にも、男の子は気軽にOKしてくれました。
何か嫌な感じになるんじゃないかと思っていましたが、全然そんなことはなかったのです。
彼は喜んでブランコに飛び乗りました。

「ありがとう。後でまた、代わってあげるから」
「いいよ。僕、あっちの滑り台で遊ぶから」

男の子は笑いながら、滑り台の方に元気よく走っていきました。

彼は、楽しそうにブランコをこぎます。
ひとこぎ、ふたこぎ…
世界が彼を中心にグルグル回っているようで、心の底から嬉しくなってきました。

見ると、公園の人たちもなぜか笑顔です。

自分が幸せだと、周りも幸せなんだ。

これは、彼にとって大きな発見でした。
誰かが幸せになるには、誰かがそれを諦めなくてはいけない。
そして、それを諦めることが優しいということなんだ。
彼は最近、何となくそう思いかけていましたが、間違いであることが分かったのです。

「僕はただ単に、臆病なだけだったんだ」

この時の経験は、これからの彼の人生を素晴らしく彩る、とてつもなく大きな意味を持っていました。

でも、彼はまだ、その事に気づいていません。
心の底から楽しんで、ブランコをこぎ続けました。

大きく揺れる公園の景色の中に、他の子供たちやお母さんたちの姿が映ります。
気のせいかもしれませんが、それらが全て、輝いて見えるのです。
そしてそれは、決して気のせいではありませんでした。

「あの子、とっても楽しそうね」
「僕、ブランコ代わってあげてよかった」

その日の公園は、まるで何か言葉に出来ない暖かいものに、包まれているかのようでした。


****************************


…さて、お待たせしました。
それでは、いよいよ【結末その3】です。

…えっ?無粋なことをするなですって?

確かにそうですね。
では、上で書いたのを本当の結末として、採用することにしましょう。

本当は、ちゃんと別の結末があったんですが、まあいいでしょう。
あなたの意見に合わせることにします。
自分で言うのも何ですが、私は、実はとっても優しい人間なんですよ(笑)。

※私だって優しいぞ!という方、どうぞご協力ください。

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written by 108

4 Pings to “優しい人ほど損をする?(その2)”

  1. 前スレ940 Says:

    前スレで「幸せとは心地よいものです」と言われた者です。108さんに「自分をもっと幸せにしてあげて下さい」と言われ、さらに後のレスで「自分を第一に考えてください」と言われ、そしてこのブログ…。なんか私に向けられたメッセージだと思っちゃいましたwあまりにもタイミングが良すぎたため(汗)確かに私はずっと自分を虐めていたかも。私のあれだけの書き込みで、全て108さんに見透かされた気分です。108さんは神ですか?w最近、私の中で革命が起こり、今まで心地よかったメソッドが、何も感じなくなりました。そうです。「既に叶っている」を何となく理解したのかな。既に叶っているのだから、もうそれは必要はないんですよね。これに気付くと、これから私が何を思い、どう行動しようが、全て上手く行くと、なぜか確信してしまいました…。この辺の事を、またあのスレで書いてみたいと思います。自己中だと言われるかもしれませんがw長文、失礼致しましたm(__)m

  2. KintaJR Says:

    初めて書き込みさせていただきます。
    相変わらず108さんのお話からは気付きが多いです。

    このお話もとてもわかりやすくていいのですが、1つだけどうも引っかかり続けるのは、じゃやっぱり生まれつき多少人の気持ちに鈍かったり自己中タイプで、それこそ「図々しいわね、ロクな死に方しないわ」と思われるような人間は、結局この「彼」さんよりもこの人生では幸せな時間をずっと長く過ごすということですよね。。。

    それがどうも感覚的に不満なので、結局宗教みたいに「せめてこの「彼」さんが死んだ後は、他人のために優しくした分だけ幸せになる」(なってほしい)とか考えたくなってしまう気がします。

    幸せになるという意味では、「彼」さんの方法に間違った部分があったとしても、じゃあその逆のタイプで全然間違いないのかと思うと。。。なんか馬鹿馬鹿しくなってしまいます。
    どうしたもんかなあ。

  3. Says:

    引き寄せる必要は無いって書籍で学んでるはずなのに、それでも何かを引き寄せようとしている人のコメントを見たら、なんだか違和感がありました。
    自分はまだ理解してないのかな。

  4. おはなちゃん Says:

    はじめまして。読んでて涙が止まりませんでした。わたしはいつだってわたしをないがしろにしてきた。痛い思いをさせてしんどい思いをさせてきた。心から自分に謝りました。これからは自分を1番大事にしていきます。ありがとうございました。


14 Responses to “優しい人ほど損をする?(その2)”

  1. 1. 田楽師 Says:

    コラムが2回に分けられ、「結末その3」が最後に
    書かれていたのは、より目からウロコとなりましたw
    これも「認識の変更」をさせるための108さん流の
    良いパフォーマンスですね!

    余談ですが、本当に不思議だなぁ、と思うのは、
    今日、乗りたかったブランコに先に他の子が乗ってしまって、
    仕方なくどんぐりを拾いに行った幼き頃を思い出していたことです。
    何故今日そんなことを思い出していたのか?

    やはり繋がっているんですねw

  2. 2. サトシ Says:

    108さんこんにちわ。
    自分の事を言われているようで“ドキッ”としました。
    本当の優しさではなく、臆病なだけだという事を気付かされました。
    自分に優しくする事が、人に優しくできる事に繋がるんですね・・・

  3. 3. えむえむ Says:

    こんにちわ~
    いつもコラム楽しみに拝見させていただいています。

    自分自身への最大の大罪。

    そうですね。これに気づけないと、いつまでも外い翻弄されつづけ、本当の自分として生きられない自分のままですよね。

    ところで近頃とても悪いこと(みたいだけど)でいいことがありました。
    108さんメソッドで乗り切れると思うのですが、結果がでたらまた報告
    させてくださいね。いつもありがとうございます☆

  4. 4. asa Says:

    私は「本当に優しい人間って何だろう」ってずっと考えてきた人間です。
    単に人当たりがいいだけに終始する人っていうのは、
    他人から見て「優しい人だ」と思われたいだけの人かなって思ってます。
    (視点が自分じゃなくて、他人視点で自分を見てる・・・犠牲精神に富んでるだけ。)

    じゃあどんな人が優しいかっていうと、他人にどう評価されようとも、
    本当に相手のことを思って行動できる人なのかなって思ってます。

    最近になって2ちゃんLOAスレの過去ログを読みました。

    初期の108さんは「教科書口調だ」「上から目線だ」とか批判されたりしても、
    その姿勢を崩さず、時に厳しい口調でハッキリと、物事を断言されてました。
    それは相談者のためを思った優しさから来るものに見えました。

    他人にこうなって欲しいと思うから自分の評価云々に関係なく一番的確な言葉をかける、
    というのは、つまり自分に自信がないとできないことだし、
    他人からの評判に重きを置いていないことで、とても素晴らしいと思いました。

    私の中で、本当に優しい人というのは、108さんみたいな人だと思います。

    (話がしめっぽく&スレチになりました。)

  5. 5. suzuki13 Says:

    待ってました!
    最近自分がたどった道です。

    自分に対して最優先でやさしくすれば、
    それでいいって感じがすごく実感できてます。

  6. 6. yamato Says:

    あ~~身体が痺れています。素晴らしい!素晴らしい!
    本当にありがとうございます!

  7. 7. タロウ犬 Says:

    意図だけのときは素直に自分優先に出来るのですが、
    一度思考が働いてしまうと、思い切って自分を出すのが
    大変になってしまうのですよ。勇気出せ自分!

    所で、ランキングの「ブログ王」押すとサイトに飛ばずに文字列が出てくるのですが、大丈夫でしょうか?
    こちらのパソコンの問題なら良いのですが。

  8. 8. neko Says:

    人に気を使わないと恨まれたり攻撃されたりと
    余計不幸を招きませんか?人に譲らないとあとで損するのでは…
    間違いなのかな。今までがそうだったからなんだか信じられない

  9. 9. muku Says:

    計らずも涙が溢れました。

    優しくしたはずなのに?

    私自身の今までの人生そのものでした。というよりは
    「自分は下手に、人には最優先で」
    「自分さえよければ他人はどうでもいい」
    こんな風に相反する…いえ、共通の信念を心に抱えた両親の間で右往左往した幼少期でした。(両親を引き寄せた素因は未だわかりませんが)
    そして、その後最近までの間に引き寄せられてきたものは…ご想像の通りですw
    今は、自分が自分の母となり父となり、本当の優しさを自己に与え直す決意をし数年経ちましたところ。
    願うものが引き寄せられるならば、この決意は必ず身を結ぶ。確信に変わるまで…頑張らずに頑張ります(笑)

  10. 10. 偽善者 Says:

    このコラムの「彼」はまるで自分のように思えます。 多分108さんの言う通り私自身臆病で、ちょっとした勇気で世界がかわるのでしょう。
    108さんが言わんとしてることはなんとなくわかります。少しでも自分を大切にしてとか、色々な思いや考えがあってのことなのでしょう。
    しかし、自己犠牲が極悪や人非道であると決めつけるような書き方には納得出来ません。(その意図がなくても)
    なぜなら自己犠牲で感謝してくれた人や 助けてくれる人が少数でも確かにいたからです。
    それはつまり、自分を不幸にしていては周りを幸せにできないことわりが成り立つとしたなら、感謝してくれた人達を否定…、存在すらも否定していることになるからです。
    だから納得出来ません!
    文章や言葉とは難しいものです、この「優しい人は損をする」のコラムにはこれはこうだからと決めつけてしまっているものがあります。
    この世に決めつけられる理屈やことわりはほとんどなく曖昧なものばかりだと思います。
    だからこのコラムの文章には見直しが必要なのではないでしょうか?
    …そう、私は思います。
    長々と失礼しました。

  11. 11. アイルランド Says:

    もし、物事の価値を量る秤が壊れている人が居るとしたら、
    その人がもし他人の幸福を優先する事で自身の欲求を満たすとしたら。
    それは聖人か、はたまた人間である事を捨てた機械か。

  12. 12. PIW Says:

    このブランコに乗っていた男の子が拒否する可能性もあるのですが……

  13. 13. rui Says:

    思いやり、優しさと検索していてこちらのコラムに出会いました。
    彼氏にどうしても 伝わらなくて…
    どう思っても 相手にそれが 伝わらなくて…
    そして いつも 彼から 優しさのかけらもない、思いやりがないって 言われて、
    昨夜も 彼が数日前から頭が痛いというから 体調は大丈夫!?と
    聞いても 体調は 大丈夫だというから 他の会話をしていたら、
    頭痛がすると 言ったのに 心配する優しさもないんだねって…
    私が 疲れてしまって、壊れてしまいそうです。
    誰にも言えないし 相談もできなくて、
    ここに 書いてしまいました。ごめんなさい。。

  14. 14. レタス Says:

    10年前にこの記事に出会えていれば……(笑)

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