1 月 21

今日は瞑想の話です。
私は瞑想について、これまでメソッドとしてはあまり取り上げてきませんでした。
ひょっとして瞑想についてお馴染みでない方もいるかもしれません。瞑想とはなんでしょうか。

めい‐そう【瞑想・冥想】
目を閉じて静かに考えること。現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと。「―にふける」[広辞苑]

…う〜ん(笑)。辞書による説明だとこういう風になっちゃいますよね。

瞑想と言っても、そのやり方は色々とあります。
私も様々な瞑想法を試してきました。中には極度の集中を必要とされるものもあって(それって瞑想かぁ?(笑))終わった後にクタクタになってる、なんてこともありました。
それでも「これを習得すれば願望実現が待っている。そのためには頑張るぞ!」と一生懸命でした。今思えば懐かしいです。

それぞれの瞑想法にはそれなりの効果や利点があると思います。でも高度な瞑想法を独学で行っていったとき、途中で間違った方向に進んでしまう恐れもあります。こうなると面倒ですよね。そこで適切に修正してくれる指導者がいないわけですから。しかも取り組んでいるのは「自己の内面の深い部分」という、本来「触らぬ神に祟り無し」の領域です(笑)。仏教でも「阿頼耶識(あらやしき:平たく言うと潜在意識)」について、ここを利用することは現世利益を得ること(いわゆる願望実現)についても非常に効果的であることは知られていました。しかし意識の根底をうかつにいじくることの危険性も同時に知っていたわけです。

…さて、前置きが長くなりました。
今日ご紹介するのは「とってもシンプルな瞑想法」です。
上に書いたことは忘れて(笑)早速実践といきましょう。

108式瞑想法

「煩悩式瞑想法」って、なんか変ですよね(笑)。
では、やり方を説明します。

静かな環境を用意します。
グループでやっても良いですが、そこまで大層なものでもありません(笑)。簡単なので一人の方がやりやすいでしょう。
朝起きたときとか、夜眠る前の時間を利用すると良いです。一人で静かになりやすい時間だからです。

なるべくリラックスできる服装で行ってください。この面でもパジャマとかで行える起きがけや就寝前は最適です。でも、服装についてはそこまで神経質になる必要はありません。Gパンを履いていても、ベルトをちょっと緩めるとリラックスできます。

次に、あぐらをかいて座ります。あぐらが難しければ、椅子に座るのでも構いません。それも難しければ寝っ転がっても良いですよ。三分から五分間程度、楽にその姿勢を保てるのなら姿勢はどんなでも良いです。ふかふかのソファーに深く腰掛けるのでも、コンクリートの上であぐらをかくのでも(笑)、要はあなたが楽な姿勢を保てるならそれで良いのです。

背筋は自然にまっすぐ伸ばせた方が良いでしょう。でも、これも必須項目ではありません。無理のない姿勢でリラックスできればOKです。

環境が整ったら、いよいよ瞑想開始です。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸します。

「い〜ち〜、に〜い〜、さ〜ん〜、し〜い〜…」

ゆっくりと心で数を数えながら息を吐きます。吐くのは鼻からでも口からでも構いません。
苦しくなるほど長くやる必要はありません。無理のない範囲でゆっくりと息を吐きます。心の中で数をカウントしながら。

息を吐いたら、次にちょっとだけ呼吸を止めます。これも無理のない範囲で数をカウントしながら行います。一つか二つ、数を数えるくらいの間で良いでしょう。
長く止めたから効果があるわけでもありません。苦しくなるほど止めないでください。どうしても苦しければ、ほんの一瞬止めるだけでも良いし、無理なら止める部分は省いても構いません。

次に、ゆっくりと息を吸います。これも鼻からでも口からでも構いません。息を吐いたときと同じだけカウントしながら、ゆっくりと吸い込みます。
吐くのと同じカウント数で吸い込んだら、またちょっとだけ息を止めます。さっき止めたのと同じだけ、苦しくない範囲で止めてください。

今度は息を吐きます。最初のサイクルに戻ったわけです。これを三分間から五分間行ってください。慣れてきたら十分間くらいすぐ経ってしまいます。でも、無理して長くやる必要はありません。気持ちよい範囲で行ったら、大きく伸びをして瞑想を終了します。眠るなり起きて活動するなりして通常の生活を続けてください。

なんのために行うのか

ここでちょっとしたコツを書いておきます。
瞑想中は数をカウントしながら呼吸に意識を集中します。
やってみると分かりますが、心の中で数を数えながら規則正しく呼吸をしていると、思考が働きにくくなり、勝手に呼吸だけに集中している状態になります。
あと、呼吸は腹式呼吸で行うと良いです。お腹の下の方を、吸うときは膨らませ、吐くときは凹ませる。慣れてくると楽に行えます。
二、三分、数をカウントしながら呼吸に集中したら、後はカウントを止めて普通に呼吸するのも良いです。リラックス感は持続しているでしょう。

ところで、この瞑想法の利点はなんでしょうか?
逆に聞きますが、あなたはこれを行うことによってどんな利点があると思いますか?

「願望がみるみる叶うようになった!」
「いくらダイエットしても痩せなかったのに、気がついたら理想体重になっていた!」
「長年患っていた持病が、いつの間にか全快していた!」
「憧れていたあの人と付き合えるようになった!」
「宝くじに当たった!!」

…あると思います(笑)。ないとは言いません。でも、そんなことが目的なのではありません。
この瞑想法は、あなたの願望実現と何ら関係はありません。この二つは頭の中で切り離しておいてください。

「なんだよそれ!それじゃ瞑想している意味なんてないじゃないか!」

本当にそうでしょうか?
瞑想しているとき、あなたはどんな感じがしましたか?
リラックスして、とても安らかな感じがしたのではないでしょうか。
どうしてでしょう?

思考が止んだからです。

この瞑想の利点であり目的は「思考を止めることが出来る」ということです。
あなたが生活している間、ありとあらゆる思考が途切れなく頭の中で渦巻いています。
瞑想というのは、この活動を強制的にストップできる極めて素晴らしいツールなのです。
瞑想しているとき、あなたは安らぎと平和を感じた。思考を止めただけでそれは訪れました。訪れたと言うより、最初からそれはここにあったわけです。思考のせいであなたはそれを感じられなかった。自らの思考で安らぎを感じることを妨害していたわけです。

これが「意識的に不足を支えている」ということの意味です。
あなたがそれを支えるのを止めた途端、元からある安らぎをいとも簡単に経験することが出来た。
これはとてつもなく重大な意味を秘めています。

貴重な経験

あなたが瞑想中に感じた平安。これは別の領域に触れている本当の経験です。
あらゆる条件付けを排除し、直に充足を経験しているという極めて貴重な経験なのです。

私はかつて、現象化をコントロールするために様々な瞑想法に手を出しました。
それを願望実現の手段と考えることで、そこで起きている本当の経験をないがしろにしてきたのです。
こういった本末転倒が我々の中でいくつも起きています。

何かを変えるためにそうするのではなく、そこにある貴重な経験をただするためだけに、瞑想をしてみてください。
コントロールするために瞑想を行うのではなく、直に充足を経験するためにそこに入っていってください。
それは手段ではなく目的です。

あなたは今、ひょっとしたら絶望の淵にいるのかもしれません。
あなたをそこに追い込んでいるものは何なのか。
一息つき、先の手順で瞑想をしてみてください。
ただ規則正しく呼吸をするだけの人になり、ぴたっと思考が止んだとき。
あなたは何を経験していますか?

このとき、絶望や不足を支えていたものの正体が露わになります。
あなたは思わず笑い出してしまうかもしれません。
あなたは絶望も不足も、最初からどこにもなかったという事実に気付くのです。

あなたには最初から充足しかありませんでした。その充足に直に触れ、その事に気付きます。
そして、それだけが唯一の真実なのです。

…ね、瞑想って素晴らしいでしょう?

誰にでも経験できます。是非試してみてください。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

written by 108

1 月 14

ザ・チケットでご紹介したメソッドに「自分自身に問いかける」というのがあります。
このバリエーションは結構あって「私はこの状況を、一体どうやって脱したのだろう?」というのもその一つです。
ザ・チケットではこのメソッドについて「問題が解決した未来の自分から現状を振り返ってください」と書きました。先日の記事「今年一年を振り返る」にも通ずる方法論です。

このメソッドに関してLOAスレッドでこんな質問がありました。
(質問者の方はある現状に苦しみ、そこから逃れたいという願望をお持ちでした)

「どうすればいいでしょうか?メソッドは、どうやってこの苦しい思いがなくなったんだろう?と問いかけています」

この問いかけには一つ問題点があります。
「この苦しい思い」と言った時点で、現状の不足に焦点が当たりやすいという点です。
このためチケットのメソッド2「自分自身に問いかける」では「出来るだけ条件を外してください」と書きました。
「来週までに50万円必要な場合」なら「来週まで」「50万円」という条件を取り外し、最終目的である「安心感」をターゲットにすべきです。したがって適切な問いかけは、

「私はどうやったら、安心できるのだろう?」

未来から振り返る方法なら

「私は一体どうやって、安心できたのだろう?」

ということになります。後は思考を働かせず放っておく、あるいは思い出そうとするというわけです。

重要なポイント

考え方としてはこういうことですが、実はこれが正解とも言い切れません。
仮設男の記事でも触れましたが、人の内面は千差万別、同じ文言によって誰の内面でも同じ作用が起きているとは限らないからです。そのためチケットでは「自分なりのアイデアでアレンジしてください」とお断りを入れています。ポイントさえ押さえていれば、逆に表現はなんだって構わないのです。

そのポイントとは「感情」です。
LOAにおける重要ポイントである「感情」について、ここでもう一回おさらいしておきましょう。

先の質問者の方の例で言えば、

「どうやってこの苦しい思いがなくなったんだろう?」

こう問いかけたとき何を感じているのかが重要になります。

苦しみがなくなった時点の、未来の自分として振り返ることで、感じている感情がその時の「開放感」「安心感」に類するものなら、この問いかけは成功です。その感情を感じているということは、その人は既に「問題の解決した自分」であることが出来ているからです。

しかし感じているのが「早くこの苦しい思いがなくなって欲しい」という感情、つまり「焦燥感」や「苦しい」に類する感情であるなら、この時経験しているものは「不足」です。その人は依然「問題を抱えたままの自分」であり続けている、ということです。

同様に、

「私は一体どうやって、来週までに50万円を手に入れたのだろう?」

このとき感じている感情に注意してください。感じているのが「安心感」なら、この問いかけでも問題ないわけです。逆に「私はどうやって安心できたのだろう?」と問いかけ、感じているのが安心感ではなく恐怖心なら、その人にとってこの文言は適切ではない、ということになります。
大切なのは文言ではなく、そのときあなたがどの地点(状態)にいるのか、ということなのです。

どの未来に移動するのか

未来の自分から振り返る。
このとき鍵になるのは「そのとき自分がどういう状態か」です。
現状を支点に考える限り、どうしても不足に焦点を合わせがちです。
現状と関連なく、問題が解決した未来にパッと身を置いてみる。
その地点の自分なら一体何を感じているだろうか?
想像し、その状態を感じることが出来たなら、あなたは既にその状態になっているのです。
時空を飛び越え、望む自分を経験している、ということです。
あなたの想像力は、それほどまでの無制限な自由を与えられているのです。
意識の上では分かりませんが、このとき既に、その未来と現状とが一直線に結ばれ、如何にして解決したのかというルートも既に知っているのです。
そのとき感じている喜びは、深い部分でそれを認識し、そこから浮かび上がってきている喜びなのです。
そして、それを頻繁に繰り返しているうち…
それまでの現実から、望む現実へと現象化に変化が起きてきます。
でも、あなたはそれに気付きません。あなたが普段注意を払っていないところから変化が起き始めているからです。
エゴの監視が緩いところほど、どんどん変化が起きてきます。
その部分は監視していないことによって結果的に変化を許しているからです。
望む世界への移動は、このようにして起こります。

神という属性

あなたは想像上ならどの未来に行くことも可能です。
そして、そこで経験している感情は実際の感情です。本当の経験と何ら変わりはないのです。
誰しもが持っているその貴重で素晴らしい能力に、現状からの分析によって制限をつけないでください。
あなたはなんにでもなれるし、どんなものでも手に入れられるのです。

「なんにでもなれるし、手に入れられないものはないだって?それじゃまるで神だよ」

こんな風に考えてしまったあなた。実際にそのとおりなのです。
そして「そんなの無理だよ!」と感じてしまったあなたは、そのような定義によって自分の属性を決定しています。それすら自由なのです。
いずれもあなたが神と同質の能力を持っているからこそ、どこまでも可能でどこまでも自由なのです。
これが「神は一切出し惜しみすることなく、全てをあなた方に与えてある」ということの意味です。

迷ったとき、悩んだとき、苦しんだとき。我々全てに備わっている、この「神という属性」を思い出してみてください。
楽に重荷を下ろすことが出来るはずです。

さて「神」について語るとき、大変慎重を要します。
それは各々の中で概念化されており、否応なくそのフィルターを通すことになるからです。
かつてLOAスレでここに踏み込もうとしましたが、撤退しました。まだ早すぎると感じたからです。しかし、いずれは踏み込まざるを得ない領域です。

一つだけ言っておきたいのは「神を概念化せず、感じてください」ということです。

神、死、多世界解釈…。
ザ・チケット続編のキーワードになりそうです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

written by 108

1 月 08

プロトタイプ


実は、私は108というコテハンになる前、ほんの一時期ですが別のコテハンを名乗っていた時期がありました。

その名も仮設男

2chオカルト板内の、LOAスレの派生スレとも言える

【真理?】願望実現は真実か?【妄想?】

というスレッド内でのことです(注:現在このスレッドはありません)。

私はこのスレッドにおいて、ある仮説を立ててみました。
これにちなんで「仮説男」と名乗ることにしたのですが、レスをくれた人に間違って「仮設男」と呼ばれ、なかなかナイスなネーミングなのでそのまま拝借して「仮設男」に改名したのです。

仮設男として活動したのは、ほんの一時期です。しかし、今になってレスを読み返してみると、スタンスや論理展開に108の原型のようなものを感じます。
例えてみるなら「ウルトラマン」に対する「ウルトラQ」「仮面ライダー」に対する「スカルマン」「アルプスの少女ハイジ」における「長靴下のピッピ」(…段々分かりづらくなってきたw)のような位置づけです。

いわば108のプロトタイプと言っていいでしょう。

仮設男の駐留した「願望実現は真実か?」スレッド。
現在のLOAスレとは違って、実践によるケーススタディと言うよりは、それぞれの論理展開による自由な議論の場でした。

このスレの1さんが実に良いさばきっぶりで、議論スレにも関わらず絶妙なバランスを保ったまま、活発に多種多様な意見を交わすことが出来たと記憶しています。

今日は108誕生一周年記念企画第二弾(長いよ!)ということで、この仮設男の書き込みを、初登場分から一部、当時のスレからそのまま転載したいと思います。

(アンカー出来ない引用レス番や日付など、一部削除したり整形してありますが、それ以外はそのまま再掲しました。また勝手な転載なので、スレッドの権利者にとって不都合がある場合、コメント欄にてお知らせください)

それでは「108の原点」仮設男の書き込みです。
どうぞ。

仮説その1

願望×その人の内面×法則=願望の現実化

この公式の中で、願望はある種の定数、法則も一定だが、内面は人によって千差万別で複雑怪奇。
公式に当てはめたときに、必ずしもイコール願望実現、とならないわけだ。

その人の内面=願望の現実化÷願望÷法則

とすると、願望実現にはどのような内面の状態が必要か分かる。
それがエイブラハムやバシャール・マーフィー等、様々な理論による手引きだが、簡単にスイッチを切り替えるように、内面変更が出来るとは限らない。
我々の内面には多種多様な観念が、その人特有の状態で絡み合っており、一般化したマニュアルで対応できるほど、単純には出来ていないからね。
それに、今まで社会に適応できるように長年訓練されてきた観念や概念を変更することは、人によっては大きな危険を伴う。場合によっては人生破綻の危険性もある。

これこそが、願望実現法を自らに適用したときに陥りやすい罠だと思う。
「法則だから、ちゃんと適用すれば自ずと結果が出てくる」
と信じて懸命にその方法を試しても、実際には願望実現に適合した内面とは全然違っている場合も大いにあり得る。
願望実現法は電化製品ではない。
同じ型の電化製品を購入して、どの家庭でも同じように性能が再現されるのとはワケが違うのだ。

仮説その2

では、どうすればよいのだろうか。
ここで法則を一定と考えず、逆にその人の内面を各人固有の定数と考える。
敢えて内面を変更しない方向性で考えてみるわけだ。すると、

願望の現実化÷願望÷その人の内面=法則

となり、法則(係数)自体を、各々自らの内面に対応して適合するよう、変更することが可能となる。

この考え方なら、>513の彼氏(108注:ネガティブで不平不満ばかり口にするが、いくつも会社を経営するなど、いわゆる成功者の男性)の場合も簡単に説明がつく。
一見ネガティブで、願望実現とは正反対の思考パターン(法則)に見えるが、彼の内面にとっては願望実現に最適な思考パターンだということになる。
これなら法則を鵜呑みにして、内面を成功体質に変更しようとして苦労する必要も、不適切な内面変更をしてしまう危険性もない。
内面は今のままで、それに適合するように法則側に細工をしてやれば良いだけだ。

****************************

もちろん、シンプルに考えてシンプルに結果を出している人はそれで良いと思うよ。
考え方を強制するつもりはなく、レスタイの通りあくまで仮説だから。

だがそうでなく、上手くいっていない人のために考えてみた。
マーフィー等の成功理論で上手くいかなったという人の話はよく聞くし、引き寄せスレでもそういった人のレスはよく見かける。
「願望実現が真実か妄想か」というこのスレも、皆が上手くいっていたらそもそも生まれなかったはずだと思う。

個人的にはエイブラハムやバシャールのアドバイスは素晴らしいと思うし、その意図を汲み取って上手く人生に適用できれば、ずっと幸せになれるはずだ。

しかし一方で成功理論を鵜呑みにして、不適切な形で適用する人もいる。
そして、本に出会う前より困難に直面している人もいるはずだ。
(成功法則・願望実現を否定し、憎んでいるのは恐らくそういう人たちだ)
彼らはそのような本に出会わなかったら、もっと現実的に生き、それを普通に幸せと感じて過ごしていたかもしれないのだ。

ここのところを「個人の理解力の差だ」「あくまで自己責任」と言い切れるのかどうか。
俺は否定派ではないが、そういう本を出す側は常にその責任を負っていると思うよ。
個人の人生を直接左右する場合もあるのに、読んだ人全てが上手く行くように誤解されるような書き方をすべきではない。
彼らにそのフォローが出来ないなら、一介の名無しが誰もが上手く適用できる方法を真剣に模索してもバチは当たるまい。

仮設男→108

…う〜ん、実〜に面白い!(ガリレオ風)
このあと私が108としてLOAスレに戻り、全ての質問に答えようとした動機が、おぼろげながら見えたような気がします。

ここで展開した理論は、あくまで実験的なものでした。
しかしこの実験者のスタンスは、かなり重要なものだったと今にして思います。
何かを検証したければ、自ら実践して試す必要がある。失敗したらしたで、それもまた有効なデータとなるわけです。

前回の記事で少し触れた行動不要論者さんも、かつては試行結果をかなり詳細に書き留め、検証していました。

失敗を恐れるあまり「理論的に完全に証明されるまで試さないぞ」という姿勢になっていては、いくら議論を積み重ねたところで、何も得るものはないのです。

最後に、私が108としてLOAスレに登場した最初のレスを再掲して、誕生日記念企画を終わらせて頂きます。
お付き合いありがとうございました。

****************************

108 :本当にあった怖い名無し:2008/01/08(火) 15:10:06 ID:UQOhZ6SJ0

おかしなもんだな。
初代スレから実践方法の披露や体験報告を何度もしてきているが、何故未だに十把一絡げに「机上の空論」扱いにしたがるのだろう。
自分以外のレスに限っても、初代スレから読み返してみれば
これだけの短期間に、相当な数の成功体験や実践方法が記されているはずだ。
私も相当参考になったし、部分的に取り入れたりして有効に活用している。

「机上の空論」にしたがる人は、単に自分でそうしているだけではないのか。
その中の一つでも、実際に実践して試してみたことがあるのか。
そりゃ、ただ読み飛ばしているだけなら、その人にとっては永遠に机上の空論だろう。

これだけ実践方法が載っているのに、「あの方法で上手く行きました」的なフィードバックがほとんどない。
皆、いつになったら実践してその結果を味わってみる気なんだ?
理論として完全な証明が出来るのを待っているのなら、死ぬまで待っても実践は不可能だ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

written by 108

1 月 08

ちょうど一年前の今日、一月八日。
108が誕生しました。

2ちゃんねるオカルト板、「LOA(引き寄せ)スレッド」の中での出来事です。
この「108」という名前は、元々は掲示板のスレッドにおけるレス番号なのです。

「議論ばっかりしてないで、実践しよう」

こう提案したのが、たまたま一月八日の108番目のレス。
妙なシンクロですが、この時はその事に全く気付いていませんでした(笑)。
もちろん、そのあとこのような展開が待ち受けているとは、露ほども…。

質問に回答するため、このレス番を仮コテハンとしました。
(レス番による仮コテハンは、便宜上採用したことがそれまでもありました)
それまで同様、質問が一通り済んだら元の名無しに戻るつもりで。

ところが回答がスレを跨いでしまったため、ややこしくなるのでそのままトリップをつけて暫定的にコテハンになりました。
この時もそのままコテハンを続ける気はなく、区切りの良いところでフェードアウトするつもりでした。

当時LOAスレッドには行動不要論者さんという素晴らしい手慣れがいて、自分の体験談を交えた適切なアドバイスを、スマートかつ柔軟な語り口で、住人の皆さんに楽しく説いていらっしゃいました。

たった一年前のことです。

一年後、まだ108のままLOAスレに非常勤(?)ながら居着いており、その名義でブログも始めて本まで書くことになるとは、全く予想していませんでした。

…何が言いたいのかって?

エゴによる予測など、クソ食らえということです(爆)。
そんな現状からの状況判断による予測など、全く役に立ちません。
それを、今更ながら思い知らされた一年でした。

来年の一月八日、私は一体どんな印象を持って、この一年を振り返っているのでしょうか。

「どんな質問にも答えます」と大見得を切った、あの日。
考えればただ一つの意図だけで、せっせとレスしていました。
その意図が織りなした、この一年間の展開だったように思います。

この意図はまだ働いています。
これからの一年も、この意図が色々な面白い模様を紡ぎ出してくれることでしょう。
私の内面の「観念」というピースを拾い上げながら…。

…綺麗すぎるって?
いいじゃないですか、綺麗に見せようとしたって!
煩悩がそんなに簡単に収まるもんですか(爆)。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

written by 108

1 月 06

正確無比なレポート

さて、あなたが毎瞬毎瞬せっせと作成し続けている「現状及び自分に対するレポート」
このレポートはどこに行ってしまうのか。

レポートは即座にデータベース化され、蓄積されていきます。
どこにでしょうか?
それはあなたの内部にです…と言いたいところですが、正確にはそうではありません。
実際には、あなたの内部にそんな蓄積スペースはありません。
あなたはそのレポートを現実という形で外部に蓄積しています。

我々は通常、自分←→外部という形でこの世界を認識していますが、本当はそのような相対的世界ではありません。
あなたが経験していること、あなたの目に見えているものは、全てあなたの内部で起きていることです。
あなたの目に映るものや体験している状況は、あなたの内面の完璧に正確な投影なのです。

つまりあなたにとっての現実というものは、あなたが作り出したフィルムをスクリーンに投射しているようなものだということです。
現実とは、単なる投影結果に過ぎないのです。
「現実の属性は常にニュートラルだ」というのはこういうことです。

ところがあなたは、これに対して即座に採点を始めます。

「ダメだ。こんなのは私の望んでいた結果ではない」
「どうしてこういうときに限って、晴れじゃなくて雨なんだよ」
「なんでこう、うまくいかないのかな」
「思うてたんと違ーう!!(笑い飯:M-1グランプリ2008)」

既に投影として結果が出ているものに対して、更に採点を始めてしまいます。
しかも面白いことに、その採点方式はことごとく「減点法」です。

減点法の特徴は「どれだけ不足しているかを測る」ということです。
内部の完璧な投影である現実に対して「不足」という属性を与えてしまう。
これが間違いの始まりです。

現実とは、あなたの状態を正確に反映しているスクリーンです。
つまりあなたの内面と現実とはイケイケ(行き来が自由な事)で、ひとつながりなのです。
そこに境目はなく、あなたの判定は即座に反映される仕組みになっています。

「ちょっと待って。じゃあ願い事が実現するのにタイムラグがあるのは何故?即座に反映されるのなら、願い事だって即座に叶うはずでしょ」

ごもっとも。願い事は即座に叶っても構わないわけです。
ところがどっこい、あなたの内部はそのようになっていません。

「願い事がそんなに簡単に叶うはずがない。そのためには、ある程度の時間的経過と状況の変化が必要だ」

こんな風になっています。
だから、現実はあなたのその状態を正確に反映し、願い事が実現するまでにちゃんとタイムラグを生じさせてくれるのです。

減点が発生するメカニズム

話を戻しましょう。
何故我々が、自分や現実を「減点法」で採点してしまうのか。
それは「こうあるべき」という理想を持っているからです。
望む「理想」と、現象として現れた「現実」に差異が生じてしまうため、その差異を「不足」として捉えて採点してしまうのです。
その背後には「本来我々は完璧である」という深い認識があります。この認識は間違っていません。
ところが、この現象界には一定の法則というか、ルールがあります。

「内面を一つ残らず正確に反映してしまう」

というルールです。
全ては完璧に起きているのに、一見そのように見えません。しかも「本来は完璧なはずなのに」という想いがあるため、現実に対する認識との間においてギャップが生じます。
このギャップが、我々が自分や現状を減点法で採点してしまう原因となっているのです。

多くの人は「現実が内面の完璧な反映である」ということに、なかなか気づきません。そのため原因を外部に求め、内面と分けて考え出してしまいます。
その時あなたは、もはや現象のリアクション装置と化し、現実を判定し続ける自動化されたマシンとなってしまいます。
エゴの誕生です。
エゴはこの間違った認識が基盤なため、何一つ創造することが出来ないのです。

現実の本当の機能

では、どうしたらいいのか。
まず、認める。
この現実が、あなたの正確な反映であることを認めるのです。
しかもこれは単なる反映結果ですから、これを更に減点法で採点する必要はありません。そんなことは無意味です。
ただし、この反映結果はあることを正確に我々に伝えてくれています。

「あなたの内面はこういう状況ですよ」

ということをです。
これを手がかりに、内面を修正していけばいいのです。

ある出来事があって、あなたは不愉快な想いをした。
それは「あなたが望む状態と内面の状態とが一致していないよ」というサインなのです。
「あなたの望みはこうだけど、内面はこうなってるよ」ということを教えてくれているのです。
そこで不毛な減点法を開始しないで、内面の修正を開始してください。
修正がうまくいっているかどうかは、現実を見れば分かります。
でも現実を見ることにかまけないで、あなた自身の状態の修正に注力してください。

現実とは単なるサインです。

サインに対して、必要以上に重要な意味を持たせないようにしてください。
望むように修正されていけば、現実はあなたが望むように勝手に変化していきます。

「完璧だ」

減点法を止め、絶えずこの認定を行ってください。
あなたが減点法によって不足を支えなければ、そんな幻想は即座に消滅していきます。
金融危機?もちろん消えます。
それを支えたいかどうかも、もちろん自由です。
全ての人が、それぞれの現実を自由に選べるのですから。
あなたにとっての現実を、あなたが自由に変更できない道理などないのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

written by 108

1 月 04

明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、2009年は皆さんにとってどんな一年だったでしょうか?

…えっ?まだ早すぎる?
2008年の間違いじゃないのかって?
いえ、間違いではありません。

「一年の計は元旦にあり(もう四日ですが)などと言いますが、これは本当です。
ただし、この「計」というのは「計画」のことではありません。
一年の総計という意味です。

「2009年なんて、つい何日か前に始まったばかりなのに、そんなの無理だよ」

おやおや、あなたはこの一年間を未だ「現象のリアクション装置」として過ごそうとしているのですか?

あなたは今年一年をどんな風に過ごしたいですか?
一年が終わったとき、どんな印象を持って2009年を振り返りたいですか?
それを今やったらいいのです。大晦日まで待つ必要はありません。

何か成し遂げたい計画があるのなら、

「今年はあの計画をトントン拍子で成功させることが出来た。本当に充実した一年だった」

何らかのピンチに見舞われているのなら、

「年始めはあんなに不安だったのに、あれよあれよという間に好転して、今はこんなにも満たされている。なんとも幸せな一年だった」

というように。
今年一年の大晦日の気分を、年始の今だからこそ先に味わってみてください。
この時、間違っても現状からの予測に基づいてその気分を決定しないように。
現状とは無関係に、あなたが大晦日に感じたい感情を、ただ単純に選択してください。
そしたら、今だけ望む大晦日にタイムスリップして、その感情を先取りしてみてください。
声に出してみたり、ノートに書いたりしてみるのも良いですよ。
ポイントは、望んでいるその時の感情をありありと味わうことです。

充分にその感情を味わったら、この時間に戻ってきてください。
あとは流れに身を任せて、精一杯楽しく過ごしていきましょう。
そして一年が過ぎ、大晦日が来たとき…
このページを見返したり、ノートに書いた文章を読み返したりしてみてください。
きっと驚かれるはずです。

あなたが前もって認定したことと、これから経験することの間には、時間的な前後関係は実はありません。
逆にしても成り立つのだということがお分かりになるはずです。
これが「あなたがそうなりたいのなら、あらかじめその状態になっていなくてはいけない」ということの意味です。

108式「一年の計は元旦にあり」、いかがでしょうか?
是非お試しください。

written by 108

http://www.ndesign-studio.com http://www.mangoorange.com