1 月 14
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ザ・チケットでご紹介したメソッドに「自分自身に問いかける」というのがあります。
このバリエーションは結構あって「私はこの状況を、一体どうやって脱したのだろう?」というのもその一つです。
ザ・チケットではこのメソッドについて「問題が解決した未来の自分から現状を振り返ってください」と書きました。先日の記事「今年一年を振り返る」にも通ずる方法論です。
このメソッドに関してLOAスレッドでこんな質問がありました。
(質問者の方はある現状に苦しみ、そこから逃れたいという願望をお持ちでした)
「どうすればいいでしょうか?メソッドは、どうやってこの苦しい思いがなくなったんだろう?と問いかけています」
この問いかけには一つ問題点があります。
「この苦しい思い」と言った時点で、現状の不足に焦点が当たりやすいという点です。
このためチケットのメソッド2「自分自身に問いかける」では「出来るだけ条件を外してください」と書きました。
「来週までに50万円必要な場合」なら「来週まで」「50万円」という条件を取り外し、最終目的である「安心感」をターゲットにすべきです。したがって適切な問いかけは、
「私はどうやったら、安心できるのだろう?」
未来から振り返る方法なら
「私は一体どうやって、安心できたのだろう?」
ということになります。後は思考を働かせず放っておく、あるいは思い出そうとするというわけです。
重要なポイント
考え方としてはこういうことですが、実はこれが正解とも言い切れません。
仮設男の記事でも触れましたが、人の内面は千差万別、同じ文言によって誰の内面でも同じ作用が起きているとは限らないからです。そのためチケットでは「自分なりのアイデアでアレンジしてください」とお断りを入れています。ポイントさえ押さえていれば、逆に表現はなんだって構わないのです。
そのポイントとは「感情」です。
LOAにおける重要ポイントである「感情」について、ここでもう一回おさらいしておきましょう。
先の質問者の方の例で言えば、
「どうやってこの苦しい思いがなくなったんだろう?」
こう問いかけたとき何を感じているのかが重要になります。
苦しみがなくなった時点の、未来の自分として振り返ることで、感じている感情がその時の「開放感」「安心感」に類するものなら、この問いかけは成功です。その感情を感じているということは、その人は既に「問題の解決した自分」であることが出来ているからです。
しかし感じているのが「早くこの苦しい思いがなくなって欲しい」という感情、つまり「焦燥感」や「苦しい」に類する感情であるなら、この時経験しているものは「不足」です。その人は依然「問題を抱えたままの自分」であり続けている、ということです。
同様に、
「私は一体どうやって、来週までに50万円を手に入れたのだろう?」
このとき感じている感情に注意してください。感じているのが「安心感」なら、この問いかけでも問題ないわけです。逆に「私はどうやって安心できたのだろう?」と問いかけ、感じているのが安心感ではなく恐怖心なら、その人にとってこの文言は適切ではない、ということになります。
大切なのは文言ではなく、そのときあなたがどの地点(状態)にいるのか、ということなのです。
どの未来に移動するのか
未来の自分から振り返る。
このとき鍵になるのは「そのとき自分がどういう状態か」です。
現状を支点に考える限り、どうしても不足に焦点を合わせがちです。
現状と関連なく、問題が解決した未来にパッと身を置いてみる。
その地点の自分なら一体何を感じているだろうか?
想像し、その状態を感じることが出来たなら、あなたは既にその状態になっているのです。
時空を飛び越え、望む自分を経験している、ということです。
あなたの想像力は、それほどまでの無制限な自由を与えられているのです。
意識の上では分かりませんが、このとき既に、その未来と現状とが一直線に結ばれ、如何にして解決したのかというルートも既に知っているのです。
そのとき感じている喜びは、深い部分でそれを認識し、そこから浮かび上がってきている喜びなのです。
そして、それを頻繁に繰り返しているうち…
それまでの現実から、望む現実へと現象化に変化が起きてきます。
でも、あなたはそれに気付きません。あなたが普段注意を払っていないところから変化が起き始めているからです。
エゴの監視が緩いところほど、どんどん変化が起きてきます。
その部分は監視していないことによって結果的に変化を許しているからです。
望む世界への移動は、このようにして起こります。
神という属性
あなたは想像上ならどの未来に行くことも可能です。
そして、そこで経験している感情は実際の感情です。本当の経験と何ら変わりはないのです。
誰しもが持っているその貴重で素晴らしい能力に、現状からの分析によって制限をつけないでください。
あなたはなんにでもなれるし、どんなものでも手に入れられるのです。
「なんにでもなれるし、手に入れられないものはないだって?それじゃまるで神だよ」
こんな風に考えてしまったあなた。実際にそのとおりなのです。
そして「そんなの無理だよ!」と感じてしまったあなたは、そのような定義によって自分の属性を決定しています。それすら自由なのです。
いずれもあなたが神と同質の能力を持っているからこそ、どこまでも可能でどこまでも自由なのです。
これが「神は一切出し惜しみすることなく、全てをあなた方に与えてある」ということの意味です。
迷ったとき、悩んだとき、苦しんだとき。我々全てに備わっている、この「神という属性」を思い出してみてください。
楽に重荷を下ろすことが出来るはずです。
さて「神」について語るとき、大変慎重を要します。
それは各々の中で概念化されており、否応なくそのフィルターを通すことになるからです。
かつてLOAスレでここに踏み込もうとしましたが、撤退しました。まだ早すぎると感じたからです。しかし、いずれは踏み込まざるを得ない領域です。
一つだけ言っておきたいのは「神を概念化せず、感じてください」ということです。
神、死、多世界解釈…。
ザ・チケット続編のキーワードになりそうです。