11 月 06

現実って、何?

ザ・チケットや、2ちゃんねるのLOAスレッドをお読みの方には、既にお馴染みの考え方かもしれません。

そう、現実とは「幻想」です。
あなたの内部から投影された立体映像のようなものです。

ところが幻想であるはずのこの現実に、我々は絶えず翻弄されています。
楽しい現実、嬉しい現実もあれば、辛い現実、悲しい現実もあります。
単なる幻想であるはずの現実に、我々は始終脅かされているのです。

これがテレビドラマの中での話であれば、たいした問題ではありません。
一時間程度、その世界に浸りきって充分にドラマを堪能すれば、それでオシマイです。
来週のこの時間を楽しみにしながら、我々はその世界を後にします。
そして、安心できる自分の本当の現実に戻ってくるのです。

しかし厄介なことに、テレビドラマではない「自分の本当の現実」においても様々なドラマが待ち受けています。
そしてそのドラマの主人公は、正真正銘の自分自身です。
これ以上の臨場感はありません。巨大なスクリーンと高度な音響設備を備えた映画館であっても、この「現実」という上映設備の迫力には遠く及びません。

この「現実」というドラマは、あなたが生まれてから現在に至るまで、ずっと休むことなく上映され続けています。
早送りも巻き戻しも出来ません。
「ちょっと休憩」と言って、中座することも許されません。
決して途切れることなく、我々はこのドラマの主人公を演じ続けています。

現実が我々にとって、好意的に解釈できるものであれば、それもいいでしょう。
ところが、現実とは往々にしてそうではありません。
不愉快なことが一杯起こります。耐え難いような出来事も、一生のうち一度や二度ではないでしょう。

「なぜ、これほど苦しい現実を味わう必要があるんだ。もうたくさんだ!」

こう言って鑑賞するのを中止し、劇場を後にすることはできません。それは死を意味するからです。
実際の映画であれば、それは自由です。
そうであれば、そもそも鑑賞前に作品を選ぶことが出来ます。
事前に「どのような映画であるか」内容をチェックして、自分の趣味・嗜好に合うものを観に行けばいいわけです。
観に行って気に入らなければ、鑑賞を途中で中止することも自由です。
別の作品はいくらでも上映されていて、もっと面白そうな映画はたくさんあります。
公開中のロードショー以外にも、ビデオレンタル店には過去の作品がいくらでも置いてあります。テレビでも毎週何本も放映されています。
あなたにとってお気に入りの一本に、必ず出会うことが出来るでしょう。

しかし、この「現実」はあなたにとって唯一のものです。
あなたが気に入ろうが気に入るまいが、容赦なくその「唯一のストーリー」を突きつけてきます。
それが「人ごと」ならともかく、主人公はあなたです。体験しているのは唯一の主人公であるあなたなのです。
あなたはジェットコースターの先端に縛り付けられ、次から次へとものすごい勢いで迫ってくるど迫力のシーンを目の前にして、恐怖にうろたえるばかりです。

これは拷問です。もはや罰以外の何物でもありません。
これが人生というものなら、全く楽しくなんてありません。一刻も早く終わらせたいと思って当然です。
私は先に「ドラマを見終わったら安心できる現実に帰ってくる」と書きましたが、実際にはまるであべこべです。むしろドラマを見ている時間の方が、人によっては辛い現実から解放されるオアシスのような役目を果たしているのかもしれません。

この「現実」というドラマのシナリオライターは、一体どこにいるのでしょう。
見つけて一発か二発…いや、ボコボコにぶん殴ってやらなくては気が済みません(笑)。

主人公という幻想

…さて、何となく展開が読めてきた気がしませんか?
あなたはおそらく、私が今からこんなことを書くんだろうと思っています。

「実は、この現実というドラマのシナリオライターはあなた自身です。全ての現実は、あなた自身が創造しているものに他ならないのです。だから、あなたが自分でシナリオを書き換えさえすれば、現実はあなたの望むように展開していくのです」

この方向に論旨を誘導していくのは簡単です。しかし、ザ・チケットでも2chのスレでも、この手の話は嫌というほどしてきました。もうお腹いっぱいだという方も多いと思います。

そこで今回は、ちょっと別の方向に展開を試みてみようと思います。

「現実は、あなたが創造しているものではない。この現実世界に生きる他者やあらゆる現象によって、あなたとは無関係に刻々と生み出されているものだ。
現実は、あなたの内面とは一切関係がない。あなたが何を考えているかということと、実際の現象化との間にはなんら関連性はないのだ。
あなたが現実に対して取り組んで成果を出せる部分は一切ない。なぜならあなたは創造主などではないからだ。あなたはただ次々と展開する現実に対して、楽しい、辛い、面白い、恐ろしい、などと感想を洩らすことだけで精一杯だ。
とすれば、あなたが現実に対して出来ることは何もない。あなたに出来ることは、それを充分に体験し、感じることだけである。あなたは観客に過ぎないのだ」

どうでしょうか。
「現実とは幻想である」「内部から投影された立体映像のようなものである」という最初の主張と、同じ地点に行き着いてしまいました。
正反対の立場を取ってみても、結論は同じなのです。

「自分はこの現実の主人公だ」

これは真実のように思えます。あなたは現実を「あなたの観点」でしか捉えることは出来ず、その意味であなたは自動的に主人公という立場を取らざるを得ません。
しかし上で述べた立場に立って考えると、これはおかしなことです。
あなたが主人公なら、常にドラマの中心にいて、現実の展開に大きな影響を与えていなくてはなりません。
しかし上記の前提通りだとすれば、現実とあなたは「無関係」であり、あなたの思考は現象化に影響を及ぼさないはずです。
これではとても主人公とは言えません。
しかし、あなたは現実を途方もない臨場感を持って感じ、喜び、悲しみ、まるで主人公のようにありありと体験しているように見えます。
では「あなた」の現実における立場とは一体何なのでしょうか。
(つづく)

written by 108

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