7 月 21
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あなたは夢をご覧になりますか?
睡眠中に見る、あの「夢」のことです。
きっと見ますよね。私もよく見ます。
夢というのは不思議なもので、突然脈絡のないシーンにいきなり飛んだり、自分の役割やキャラクター、舞台設定まで突然変わったりして、なんとも不条理なものです。
ストーリーもあってないようなものですが、そういった面を除けば、起きているときの現実体験と遜色ないリアルさがあります。夢から覚めるまで、それが夢であるとは気付かないほどの…。
実は私、かつて夢に関連して驚くようなことを経験しました。
それまでの常識が音を立て崩れる…というより、木っ端微塵に吹っ飛ぶような衝撃的な経験でした。
それをこれからお話しします。
私はいつものように夢を見ていました。
(夢の内容についてはこの際どうでもいことですが、セクシーな夢でなかったことは確かです(笑))
いつもの夢と同じように、まるで現実の体験であるかのようにそれを経験していました。
つまり、そこで起こる出来事や場面同士のつながりが「現実ではあり得ない形」であるにせよ、現実と同じようにその夢の世界を体験していたということです。
ここまでは普通でした。
問題はこの後です。
夢を見ていた私は、いつものように目を覚ましたんですが、この時、思いもよらないことに気付きました。
なんと目が覚める寸前に見ていた夢のシーンは、夢のストーリーにおける「ラストシーン」ではなく、なんと「オープニングシーン」だったのです。
これだけでも意味不明なのですが、本当に驚いたのはこの後です。
それに気付いてから目が覚めるまでのほんのわずかな刹那、見ていた夢のそれぞれのシーンを、通常の時系列に沿って瞬時につなぎ合わせている自分を初めて観察したのです。
夢における時系列、つまりストーリーを作っていたのは、目覚める刹那の自分自身でした。
夢の中に時間はなかった。
それを目覚めた後でも時系列に沿ったストーリーとして解釈できるようにしていたのは、目覚める瞬間の自分による「瞬時の並べ替え作業」だったのです。
これによって、夢が何故あれほど不条理なのか理解できました。
本来、夢の中に時間はないのです。だからなんの制限もなく自由自在な経験ができる。
突然別の人物になったり、突然まったく違う場面の経験に移ったり。
ある意味直結です。
この経験を「起きている意識」によって解釈して認識するためには、その形に変換する必要があります。
それが目覚め直前の瞬間的な「時系列に整列」作業なわけです。
これによって夢は見かけ上、時系列に沿ったストーリーを持つことができ、場面のつながり等が(現実視点では)不条理であったとしても、後で反芻したり、人に話して聞かせることの出来る物語として、かろうじて形をなすわけです。
ところが実際の夢にはストーリーなんてない。
そこには直線上に一方向に進む「時間線」なんてものは存在していないのです。
だからこそ、通常の時間認識上では「一番最後」に「一番最初のシーン」を見ていたりする。
私はこのとき、ハタと気付きました。
「…ひょっとしたら、現実世界も同様じゃないのか?」
と。
(つづく)