10 月 28

先日公開した、コラムの「破壊的願望」ですが、実はこれ、ブログ用に一番最初に書き起こした記事なんですよ。

「壁(その1)」のアップが9月2日なので、それよりもかなり前に書いていたものです。

文字通り、ブログ記事制作No.第一号です(笑)。

その後、「壁」を執筆したときに、

「記事としてはこっちの方が良いかな」

と感じたので、先にアップしていました。

「破壊的願望」は、いずれ時間があったら書き直そうと思って、そのまま手つかずにしていたものです。

ブログ公開はまだ決めていなかった時期だったので、

「公開までに記事をいくつか書きためておき、ストックした中から小出しにしていけばいいかな」

などと、悠長に構えていました(笑)。

結局、ブログ公開に踏み切った時点で、ストックは「壁」の前後編と、最初に書いたまま手つかずの「破壊的願望」の二つだけ。

公開後もストックは増えず、ネタがなくなってしまったため、急遽、制作第一号の「破壊的願望」を引っ張り出してきて掲載したというわけです(笑)。
下手したらお蔵入りになりそうだった記事ですが、こんな形で公開されることになるとは…。

…というわけで、貴重なストックを全て使い切ってしまいました。

短い間でしたが、当ブログをご愛顧頂き、ありがとうございました(オイオイ…)。

というのは冗談ですが、せっかく楽しみにしていただいている方には、ご迷惑をおかけしています。更新が遅れ気味でゴメンなさい。

記事だけでなく、ブログの構造についてもチューニングしていかないといけないんですが、公開後まだ手つかずの部分がイッパイです。

せっかくトラック・バックにコメントいただいてる部分も、何故か文字化けしてしまってるし…(「投資と読書と日々の日記」さん、スミマセン!直らないのです…)。

どなたか、直し方教えてくださ〜い(>_<)。

…とまあ、こんな感じで、色々不具合もあるブログですが、どうぞ生暖かく見守っていてください。

written by 108

10 月 27

以前、引き寄せスレで

「どんな願望でも持って構わない」

と書きました。
もしそうだとすると、こんな風に考えてしまう人がいるかもしれません。

「それじゃ『銀行強盗や殺人を成功したい』という願望も、持って良いことになるのではないか」

「『世界征服したい』という願望を、叶えることが出来るのか」

少しばかり、子供じみた発想だと思われるかもしれません。
しかし今回は敢えて、この部分について少し掘り下げてみましょう。

あ、その前にあらかじめ言っておきますが、そんな願望でも「持つこと」自体は問題ありません。
そのこと自体に「良い」「悪い」はありません。
また「叶えることが出来るのか」という問いについても同じです。
「可能」です。

さて、上記のような、いわば「破壊的な願望」を突き詰めてみると、あることが見えてきます。

例えば、

「私は銀行強盗を成功させたい!」

この願望を少し掘り下げてみます。

「どうして銀行強盗を成功させたいの?」
「そりゃ、成功すれば大金を手に入れることが出来るからだよ」

もう出てきました。
本当の願望は「大金を手に入れること」だったわけです。
では、他の願望についても同様に検証してみます。

「どうして殺人を成功させたいの?」
「社会に裏切られてばっかりで、ちっとも良い思いをしてないから。誰でも良いから復讐してやるんだ!」

またしても、すぐに出てきました。
目的は「殺人」ではなく「復讐」でした。
もう少し掘り下げます。

「どうして、社会に裏切られてばっかりで、良い思いをしていないの?」
「こっちが聞きたいよ!この現実社会は自分を受け入れたくないんだろう。なんか知らんが、社会全体から呪われてるんだ。だから良い思いなんて出来るはずがない」

お分かりでしょうか。
この人は、

「自分は社会に受け入れられていない」
「社会から呪われている」

という観念を保持していました。
ここをもっと掘り下げると、おそらく

「自分は人より劣っている」
「自分は嫌われている」
「だから自分は成功してはいけない」

このような思いこみが現れてくるでしょう。
ここではそれを割愛して、この人が持っているもう一つの観念について、追求していきます。

「どうして『誰でも良いから』復讐したいの?」
「とにかく、社会に仕返しをしてやりたいんだよ!」

もう少し、シツコク食い下がってみます(笑)。

「どうして、社会に仕返しをするために、殺すのは『誰でも良い』の?」
「俺を苦しめているのは社会だからだよ!だから、殺すのは誰でも良い」
「答えになっていません」
「だから!!苦しめているのが誰かなんて、個人的な特定は出来ないんだよ!
社会は全て敵だ!俺以外は敵なんだ!だから、俺以外の誰かを殺せば、それは社会に復讐したことになるんだよ!!」

かなりハッキリしてきました。

この人は、自分と社会とを「分離した、二極の対立構造」として捉えています。
「誰でも良い」というのは「実際には、そんな特定の相手は存在していない」からだと分かります。

お気づきでしょうか。

この人の求めているものは「愛」なのです。
受け入れられ、愛されたいというのが本当の願望です。
それは、表面上の願望として現れている「誰かを殺す」という目的を達成したとしても、決して得られるものではありません。
彼は、裏に潜んでいる本当の願望とは、まるで逆の願望を持ってしまっているのです。

殺人願望が「社会全体への復讐」ではない場合もあります。
例えば、こんなケースです。

「どうして殺人を成功させたいの?」
「アイツが憎くて憎くて、仕方ないからだよ!」
「どうして、憎くて憎くて仕方ないの?」
「アイツが、私に酷い仕打ちばっかりしてくるからだよ!」
「どうしてその人は、あなたに酷い仕打ちばっかりしてくるの?」
「知らないよ、そんなの!私のことが嫌いなんじゃないの!」
「どうしてその人は、あなたのことが嫌いなんだろう?」
「何か、私に気にくわないところでもあるんでしょ!!」

この人とその相手とは、継続性のある「特定の傾向を持った関係性」を築いていることが分かります。
その結果、この人は「私は特定の人物にとって気にくわない」という観念を持っています。
そして、この人の本当の願望は「特定の人物から嫌われたくない」つまり、「誰からも愛されたい」です。
この人の場合も、本当の願望である「誰からも愛されたい」とは、正反対の願望を表面上、抱いてしまっているのです。

このように「破壊的願望」には、その裏に正反対の「本当の願望」が隠れています。
そしてその願望は、表面的に保持している「破壊的願望」を達成しても手に入れることが出来ないものです。
その破壊願望が実現されると、むしろ本当の願望実現からは遠ざかってしまうことが分かります。
つまりそれは、幸せから遠ざかってしまうということです。

それでもあなたは「破壊的願望」を実現させたいでしょうか?

どんな願望でも、持つことは自由です。
実現させることも可能です。
でも、せっかくなら「本当の願望」の方を実現して、幸せを感じた方が良いに決まってます。

最後に、例としてあげたもう一つの破壊的願望である「世界征服」について、掘り下げてみましょう…

…ちょっと待ってください。内部から私に問いかけてくる声がします。
少し耳を傾けてみましょう。

「あなたは、どうして『世界征服』が『破壊的願望』だと思うの?」
「いや、だってそうでしょう。世界を意のままに操るなんて…」
「どうしてそれが『破壊的』なの?」
「それは、う〜ん…」
「ねえ、どうして?」
「…」

written by 108

10 月 14

壁は、自分と対象とを隔てます。
対象を自分のゾーンに侵入させないための、バリアみたいなものです。
それは精神的な面にも、肉体的・物質的な面にも同様に作用します。
あなたの安全を維持するため、このバリアは危険をシャットアウトします。

一見当然のように見えるこの活動には、逆に大きな問題点があります。
あなたは壁を作ることで自分自身を分割し、細分化して縮小していっているのです。

あなたにとって「現実」と見える外界は、実はあなた自身の内部からの投影です。
外界と見えるものは、あなた自身の一部なのです。

それがあなたにとって、好ましいものであっても、そうでないものであってもです。

それら全てをひっくるめて「あなた自身」なのです。
ところが、あなたはこれらに対して、

「これは自分にとって好ましいものだ。受け入れよう」
「これは好ましくない。壁を作り、自分から分け隔てよう」

このように取捨選択する度に、あなたは自分自身の一部を切り離しているのです。

あなたの目の前に、ある現実が提示された。
このとき、この現実はまだ、どのような属性も持っていません。
唯一「あなたの内部からの投影である」という属性を除いて。

ところが、これに対して、

「好都合だ」
「不都合だ」

このような判定をした途端、その現実は属性を持ち始めます。
あなた自身が選択したことによってです。
そして「不都合だ」と判定したことについては、あなたはそれを自分自身のものだとして「受け入れること」を放棄してしまいます。

文字通り、自らの一部を切り離してしまったわけです。

あなたは「受け取り拒否」しました。
しかし拒否したからといって、この「あなたの一部」は無くなったりしません。
言ってみれば「宅配便が届かなかった」というだけのことです。

配達できなかった荷物は、集配所に戻されます。
この集配所も、もちろんあなたの内部にあります。
そして、届かなかったため、再度配達されることになるのです。

あなたがある現実を、壁を作ることで受け入れなかったとします。
するとその現実は、形を変えて、再度あなたの目の前に現れてきます。
今度はその現実に「少しだけ」受け入れられる部分があるかもしれません。
しかし、他の部分については、やはり受け入れられません。
あなたは、またしても壁を作ることになります。

この活動は、永遠に止むことがありません。
そしてその都度、あなたは自分自身を細分化し続けているのです。
気がつけば、目の前には無数の壁があり、あなたを取り囲んでいます。
あなたは圧倒され、身動きが取れなくなっています。
しかしその壁は、あなた自身がせっせとこしらえてきたものに他ならないのです。
あなたはこうやって、自分自身をどんどん狭いスペースに追い詰めてしまっているのです。

この問題を、どうやって乗り越えたらいいのでしょうか。

答えは単純明快、「壁を作らないこと」です。

どんな現実が目の前に現れたとしても、それに対して壁を作らない。
自分の内部からの投影として、受け入れるのです。
それが、あなたにとって好ましいものであろうが、そうでなかろうが。

「これは嫌だ」と感じたら、その感情をも拒否しないで、充分に観察してみる。
その対象も「自分自身の一部である」という認識を持ちながら、愛を持って観察してみます。
「嫌だ」という感情を充分に感じきることで、その投影が現れた目的は達成されます。

荷物は届いたわけです。

あなたが壁を作ってきた対象は、単にその荷物を届けてくれる「配達人」に過ぎなかったのです。
今まで我々がしてきたことは、せっかく荷物を届けに来てくれた配達の人に対して、

「そんなものいらない。余計なことをしないでくれ」

と、配達人そのものを拒否していたようなことだった、というわけです。

とんだ見当違いでした。

どんな荷物であれ、その配達を依頼したのは「あなた自身」です。
それなのに、それをわざわざ届けてくれた対象に、感謝するどころか、否定して拒否するような態度を持ち続けていました。

でも、その勘違いは解消されました。
あなたは荷物を受け取り、配達人に「ありがとう」といいます。
荷物が届いたので、配達人の役目は終わりました。
彼がその荷物を持って、再びあなたの前に現れることはないでしょう。
荷物を受け取ってしまったので、逆にそんなことは不可能です。
あなたは荷物を部屋に持ち帰り、中身を確認します。
これで、一つのプロセスがめでたく完了しました。

こうすることによって、全ての対象における属性はニュートラルに保たれます。
あなたは、それに不都合な属性を与える機会から解放されます。
つまり、壁を作る必要がなくなったわけです。
もはや、対象をあなたから切り離す必要はなくなります。
こうして受け入れることで、それは「あなた自身」と統合されます。
同時に、同じ属性の無数の壁が消失し、分け隔てていたものとあなたとが再統合されます。
息苦しかったあなたの周りに、徐々にスペースが出来ていくのです。

こうしているとき、あなたの内部で一体何が起きているのでしょう。

あなたは愛を増幅しているのです。
受け容れることによって「否定」という属性を取り除いているのです。
つまりそれは、あなたが自分自身に幸せを許可している行為なのです。

ここで、ひとつ疑問が生まれます。

「壁を作らず、全ての状況を受け入れるということは、現実的な危険を受け入れることになるんじゃないのか?そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないよ!」

この疑問はごもっともです。
しかし「壁を作らない」ということは、何も「生命体としての安全を放棄しろ」ということではありません。

目の前に現れた人々に「片っ端から、抱きついてキスしろ」と言っているのではありません。
そんなことをしても「危ない奴だ」と思われるだけです(笑)。
また、猛スピードで突っ込んでくる車を受け入れ、そのまま轢かれろと言っているのでもありません。
当然ですが、そんな状況からは身を守るのが賢明です。

そういった「生命を維持するための、自動的で本能的な活動」を停止しろ、ということではないのです。

必要なのは「壁を作らない」ということだけです。

向こうから怖い人が歩いてきたら、その「怖い」という感情を充分に感じて観察してください。
しかし、その人も「自分自身の投影である」という認識に基づき、愛を持って受け入れてみてください。
あなたは普段そうしているように、普通に彼の横を通り過ぎるでしょう。
しかし、壁は作らないで済みました。
「自己の細分化のプロセス」は行われなかったわけです。

危ない運転をする車に、危うく轢かれそうになったら、

「危なかった、怖かった」

あるいは

「助かって良かった」

という感情を充分に感じ、観察してください。
そして、

「あの運転手は許せない」
「いつか復讐してやる」

と思ったら、その時の感情自体も充分に感じ、観察してみるのです。
しかし同時に

「あの車も運転手も、自分自身なのだ」

ということを思い出してください。
思い出したら、愛を持って受け入れてください。
そうすれば、自己を細分化しなくてすみます。

壁を作るということは、自らに制限を作るということです。

「ここからここまでが私です」
「それは、私から分離します」

こんな風にです。
その自ら設けた制限が、あなたの自我、つまり「エゴ」を形成していくのです。

このプロセスを中止し、目の前の世界を、あなたと再統合していってください。
そうすれば、あなたにとってのこの世界は、本来の属性を取り戻すことになります。
それは「愛」という属性です。

赤ちゃんの綺麗で純真なまなざしを、思い浮かべてください。
あのまなざしは、自我や分割という概念のない、愛に満ちた本来のまなざしなのです。
あなたが再びそのまなざしを持つようになれば、世界もあなたに愛を返してくれるようになります。
それはあなたが、世界に「愛」という属性を与えているからなのです。

どうでしょう。
「ひとつやってみようか」という気が起きてきたでしょうか?

「でも、大変だぞ。これまでに作ってきた無数の壁を、一つ一つ消去していくなんて。一生かかっても、果たして終わるかどうか…」

こんな風に心配しなくても大丈夫です。
あなたが、ある機会に壁を作らなければ、それと似たような壁は連鎖的に消えていきます。
あなたが「もう壁は作らないぞ」と決心して、機会ごとにそうしていると、その他の壁も次々と消えていきます。
無数にある壁は、まるでドミノ倒しのように、一気に崩れて消えていくのです。
壁がたくさんあればあるほど、壮大なドミノ倒しが起こります。
これは、爽快ですよ。

さて、最後にひとつだけ素敵なことをお伝えしましょう。
このドミノ倒しは、決してあなたの内部でだけ、起きていることではありません。
あなたがドミノ倒しを始めると、そのドミノは、他のあらゆる人たちのドミノも倒し始めるのです。
なぜなら、あなたと世界とは、実際には不可分だからです。

信じられませんか?

では、試しにドミノをひとつだけ、倒してみましょう。

全ては、この最初の「たったひとつのドミノ」から始まるのです。

written by 108

10 月 12

ブログ公開と同時に、たくさんの方にお越し頂き、感謝します。
そしてお祝いのコメントを頂いた皆さん、ありがとうございます!
個別の返信はしていませんが、全て読ませて頂いてます。
コメントを頂くのは嬉しい限りで、ニコニコしながら拝見しました。

掲示板とかでなく、自分のブログでお会いできるのって、なかなか楽しいですね。
お馴染みの方や初めての方、様々な方と新しい形で接点を持つことが出来て、とても嬉しく思っています。

…なんかカタいな(笑)。

このブログをどういった形で展開するのか、方向性を模索中です。
…とか言いつつ、本当はまだ何も考えていないんですが(爆)。

「動き出せば何か見えてくるだろう」といった感じでスタートしたので、元々ノープランであることに変わりはないんですが、「これだ!」という「軸」が、まだ見えてきていないんですよね。

公開後四日くらいじゃ当たり前か(笑)。
コンテンツも、まだほとんど何もないですしね。

誤解を恐れずに言うと、引き寄せスレッドでの質疑応答は、私にとっては楽でした。
お題は質問者の方から頂くわけだし、その部分は自分で考える必要がありません。

答えの方も勝手に湧いてくるので、私は表現方法などのフィニッシュの部分だけ、心がけていれば良かったんです。

私のしていたことは、多少乱暴に言えば、ただのリアクションです。
適切な答えは、実は質問者の方が心の奥底では知っていることであって、私はそれを整理して、自分なりに表現していたに過ぎません。

自らの抱えている問題を簡潔にまとめて、不特定多数の見ている掲示板で問いかけている、質問者の皆さんの方がよっぽど凄いと思いますよ。勇気がいることだと思いますし。

よく「丁寧な対応に頭が下がります」とか書かれて恐縮していたんですが、回答の内容に頭を煩わせたことは、ほとんどありません。
質問内容が深刻だったりすると、やはりそれなりに気を遣いましたが。

質問内容が深刻でも、現れてきた答えがシンプルすぎて、自分で「えっ!?」となることが良くありました。
「これだけじゃマズいだろ」と思って、色々こねくり回した場合、あまり良い回答にはなっていなかったと感じます。

スレッドでの質疑応答で、私が一番学んだことは「インスピレーションを信頼しなさい」ということでした。
よく考えりゃ、当たり前のことなんですけどね(笑)。

あと「はじめの一歩」は、やはり重要だと思いました。

今年の1月8日に「どんな質問でも答えます」と大見得を切っていなければ、そして次々と質問してくれた皆さんがいなければ、今現在に至るプロセスはありませんでした。

「ザ・チケット」も世に出ていなかったはずです。

そう考えると、やはり人生を動かしているのは「エゴ」ではなく、もっとはるかに大きな存在の力なのだなぁ、と改めて思います。

…で、今後の展開ですが、

・質疑応答について

これをブログでやるかどうかは、まだ決めていません。
当面、引き寄せスレとブログと、両方に足を突っ込んだ状態で、どうするか様子を見ている状況です。

コメントに個別レスをしないのも、この部分があるからです。
個別にレスし始めると、私のことですから、おそらく止まらなくなります(笑)。
そうなると、以前にも増して対応に追われることになり、充分な回答のための時間が取れるか、正直何とも言えません。

ま、「対応しない」という選択肢もあるわけですが(笑)、それだと個別レスを始めといて何だ!ってことになります。

それに質疑応答をこちらでやり出すと、引き寄せスレにいる意味もなくなってしまう、ということもあります。

…まぁ、取りあえず、じっくり考えますわ(笑)。

今のところは、コラムをメインコンテンツにしようかなと思ってるんですが、これも展開次第でどうなるか分かりません。

当面はこういった雑記的なものも含めて、何らかは短いスパンで発信し続けたい、とは思ってますので。

…てことで、コラムの「壁〜その2〜」は、近日中に公開します。

どうぞお楽しみに〜。

written by 108

10 月 08

初めまして。108です。

ゆ〜っくりと準備してきましたが、
「ブログ・ザ・チケット」本日ようやく公開です。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。

といった感じで始めてはみましたが…

自分のブログながら、どんな感じになるのか全く分かりません(笑)。
ですので、しばらくは試験運用です。
気楽な感じでやっていこうかな、とは思っています。

あと、コメントを頂いても、(たぶん)すぐに公開にはなりません。
こちらからの返信も、基本的にないものと思っておいてください。
…とまぁ、こんなぶっきらぼうなブログでよければ、どうぞご愛読ください。

取りあえず、こんな形でスタートしました。
すぐ閉鎖になったらゴメンなさい(笑)。

written by 108

9 月 02

私たちは知らないうちに、いくつもの「壁」を作っています。
私たちは、来る日も来る日も、毎瞬毎瞬、無数の壁を作りながら生きています。
習性となってしまっているため、それは無意識で自動的な活動です。
今この瞬間にも、あなたは次の「壁」を作る場所を探そうとしています。

それは、このようなものです。

あなたは電車に乗っています。
途中で、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが乗ってきました。
あなたはその赤ちゃんを見て「かわいいな」と思います。
心が和む瞬間です。

しかし、赤ちゃんは突然泣き始めました。
それも、もの凄い勢いでです。
激しく泣き叫ぶ赤ちゃんの泣き声ほど、人の神経を逆なでするものはありません。
あなたは「うるさいな」と感じます。

周りへの迷惑など、お構いなしです。
赤ちゃんは、一向に泣きやむ気配がありません。
あなたは、だんだんとイライラしてきます。
「全くうるさい。お母さんも、もう少し上手く、あやし付ければいいのに…」

あなたは目的地の駅に到着します。
電車からホームに降り立ったあなたは、あのうるさい泣き声から解放されて、

「やれやれ」

と一息つきます。

あなたは「うるさい赤ちゃんの泣き声」から解放されたと思っています。
しかしこの間、あなたは既に壁を作ってしまいました。
赤ちゃんとそのお母さん、それとあなたとの間にです。

あるいは、こんなケースもあります。

あなたが道を歩いていると、向こうから、見た目がいかにも怖そうな男性が歩いてきます。

「うわ〜、いかつい感じの人だな。目つきも悪いぞ。
通りすがりに因縁でも付けられたら、たまったもんじゃない」

あなたは怖々とその人とすれ違います。

…何事もありませんでした。

「あ〜、良かった!」

あなたは無事で済んだことを喜びます。
しかし本当は無事ではありません。
なぜなら、すれ違った人との間に「壁」を作ってしまっているからです。

「壁」は、あなたが嫌悪感を抱いた「人」や「物」に対して作られるとは限りません。
こんな場合もあります。

あなたが美容院を訪れました。行きつけの美容院です。
ところがそこに、初めて見る顔のスタイリストさんがいます。
どうやら前回カットに訪れたあと、新しく入って来られたようです。

しかし、このことに少し問題点がありました。
その美容師さんは、あなたにとって、もの凄く「タイプ」な人物だったのです。
まさしく「理想のルックス」と言っていいでしょう。

「うわ〜、参ったな。メチャクチャタイプじゃん!緊張して上手く喋れそうにないよ…」

あなたは、その美容師さんと自分のと間に、即座に「壁」を作り出してしまいました。

こうやって好ましいものにも、その逆のものにも、私たちは絶えず「壁」を作り出しています。

壁は絶えず作られ続けていますが、勝手に消えてしまう場合もあります。
先のケースでは、理想のタイプの美容師さんが、話してみたら結構気さくで、意外に馬が合ってしまった場合などです。
こんな時、最初の印象で作り上げてしまった壁は、気がついたらなくなっています。
しかし、その美容師さんが無口で、なかなかうち解けられないような場合、依然として壁は存在し続けます。

壁が消えるか、そのまま存在し続けるかは、現実がどのように展開していくかにかかっています。
対象との関係が、あなたにとって好意的に展開していけば、壁は自ずと消えます。
そうでない場合、壁は消えません。
しかしいずれの場合も、「壁を作る」というあなたのプログラムがキャンセルされたわけではないので、あなたはまた別の対象に対して、壁を作り続けるのです。
しかも、壁を作るのは「あなた」ですが、その壁が消えるかどうかは、現実の展開いかんにかかっています。
自ら作り出したにも関わらず、作った途端、壁はあなたのコントロールから離れてしまうのです。

なぜ、私たちは「壁を作ろう」とするのでしょうか?

それは「自分を守るため」です。

私たちは常に、精神的・物質的な危険から身を守ろうとしています。
それは人間として安全に生存していくためです。
人間として生存していくためには、生命の安全があらゆる角度から保証されている必要があります。
つまり、危険は判別して遠ざける必要があるのです。

「これは危険」「これは安全」

こうやって毎度区別しながら、危険を感じたものには壁を作り続けます。

そしてこれは、自分自身に関してだけ作動しているシステムではありません。
愛する人や家族が出来れば、その安全まで視野に入れて壁を作っていきます。
あなたが組織に属していればその組織、あなたが住んでいる地域、あなたの国…
といったように、様々な単位での「壁」を作る必要に迫られます。
そして、実際にせっせと作り続けているわけです。

ところが、あなたが「自分と対象との間に作っている」と思っているこの壁は、実は外部には存在しません。
どこをどう探しても、そんな物は存在していないのです。

そうです。実際に壁を作っている場所は「あなたの内部」です。
それ以外のどこを探しても、実際に壁はありません。

自分自身を危険から遠ざけるために、いわば本能的に内部に作られる「壁」。
これに、いったいどのような問題点があるのでしょうか?

〈つづく〉

written by 108

8 月 11

こんにちは、108です。
ブログを始めてみました。
「ザ・チケット」と合わせて、こちらもお楽しみください。

よろしくお願いします。

written by 108

http://www.ndesign-studio.com http://www.mangoorange.com